湿原は我々の生活にとって利用し難い環境であったこともあり大規模な開発は進んでいませんでしたが、高度成長期以降、釧路地方でも農地や住宅地をはじめとする開発が盛んになりました。その当時は、自然に配慮した開発が重要視されていなかったため、1971 年には北海道自然保護協会釧路支部(現、釧路自然保護協会)が設立され、釧路湿原の重要性を認識して無秩序な開発に歯止めをかけようという運動が始まりました。1973 年には、釧路地方総合開発促進期成会・釧路湿原対策特別委員会から「釧路湿原の将来」と題して、「自然保護優先の原則」など、開発と自然保護に関する3つの基本原則が定められました。この保護運動はその後、釧路湿原のラムサール条約登録や、国立公園化につながっていきます。
釧路湿原のラムサール登録湿地指定は、1980 年に行なわれました。湿原生態系の重要性が認識され、国内最初の登録地になりましたが、登録当初は湿原の中央部が指定されたのみでした。しかし1993 年にラムサール条約締約国会議が釧路市で開催されるに及んで、湿原の重要性とラムサール登録湿地の意味を広く一般住民が知るところとなり、登録湿地も3湖沼を含むなど次第に拡大し、より広い範囲に保全の網がかかるようになりました。
しかしながら釧路湿原が広く知られるようになった当時は、バブル経済の時期でもありました。各種の保護指定が湿原範囲にとどまって周辺の丘陵地を十分に含んでいなかったことから、湿原周辺ではゴルフ場造成などのリゾート開発計画が進行することとなり、危機感を持った住民が全国の支援により、ナショナルトラスト運動による湿原と周辺丘陵地の環境保全に取り組みました。同時に釧路湿原の環境悪化を指摘して自主的に植林活動も開始されました。このように保全活動は、地域から流域を単位とする保全へと展開しています。
一般住民の環境に対する関心が一層高まったことも後押しして、行政による具体的な湿原保全の動きが始まりました。1995 年には北海道が、釧路湿原の保全施策を進めるための「釧路湿原保全プラン」を策定しました。また、河川法改正などの動きも受けて、1999 年には学識者や関係行政機関からなる「釧路湿原の河川環境保全に関する検討委員会」が設立され、関係省庁や自治体、NPO・NGO などによる検討が行なわれるようになりました。
2002 年に「過去の社会経済活動等によって損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻す(自然再生法のあらまし)」ことを目的とした自然再生推進法が公布されたのに基づき、2003 年11 月には「釧路湿原自然再生協議会」(以下、協議会)が発足し、釧路湿原の自然再生の取り組みが始まっています。